ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

東京音頭と日本青年館

 昨晩は神宮球場へヤクルトvs阪神戦を観に行きました。途中で300発の納涼花火が打ち上げられ、夜風に吹かれて野球を堪能しました。ヤクルトは負けてしまいましたが、7点取ったのでそのたびに『東京音頭』を歌いました。
 もちろん1塁側にすわっていたので、3塁側スタンドの向こうに日本青年館の建物が見えました。日本青年館といえば奏楽堂(1890〜)や日比谷公会堂(1929〜)と並んで戦前の代表的な演奏会場です。といっても歴史をよく知らなかったので、ウェブサイトを見てみました。

日本青年館の沿革
大正初期、明治神宮造営のため全国各地の青年団から延べ11万人の青年が労働奉仕をする。
1920(大正9)皇太子殿下(後の昭和天皇)より、造営の功績に対する令旨[りょうじ=命令を伝える文書]を下賜。それを記念し日本青年館建設の議がおこる。
1921(大正10)(財)日本青年館設立。
1925(大正14)日本青年館(旧)完成。
1979(昭和54)現在の日本青年館完成。


日本青年館の沿革と概要」より編集
http://www.nippon-seinenkan.or.jp/category/gaiyou.html

 1926年設立の新交響楽団(現・N響)の定期演奏会は、1932年6月までずっと日本青年館で開催されていました。その年の9月から日比谷公会堂に代わっています(小川昂編『新編日本の交響楽団定期演奏会記録1927-1981』による)。1931年に東京音楽学校へ入った山田和男青年も、日本青年館へ何度も通ったことと思います。