ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

貝谷八百子のバレエ創造活動

 貝谷八百子(かいたに・やおこ、1921-1991)バレエ団の公演プログラムを読むと、このバレリーナがいかに創造的な活動を積み重ねてきたかが伝わってきました。
 まず1989年1月9日に五反田のゆうぽうとで開催された、貝谷八百子バレエ団創立50周年記念公演(演目は『眠れる森の美女』全幕)の公演プログラムです。貝谷八百子自身(写真)の巻頭言と日下部紫陽の演目解説に続き、尾崎宏次、塩月弥生子、飯田美雪が言葉を寄せています。その後にあるのが江口博「八百子のデビューのころ」という一文でした。

 ただ言っておきたいのは、八百子は古典バレエの舞踊家でありながら、古典の世界だけに安住する舞踊家ではない、という点である。それは彼女の気丈さと、持ち前の覇気が古典の世界のみに沈潜することを許さないのかも知れない。彼女は新しいバレエの創造に生命を賭ける舞踊家である。彼女の意力はみずから踊ることよりも、どちらかといえば新作バレエの創造、振り付けに生きがいを感じているふうに見える。すでにそもそもの出発点からしてそうであった。
 昭和13年の第1回公演に発表したドボルザークの「新世界から」にしてもそうだった。つづいて彼女はリムスキー・コルサコフの「シエーラザード」をまったく新しい構想の下に演出した。そのほかもろもろの豊富なレパートリーはすべて新作といってよい。
(1970年プログラムより)

 次に1997年1月15日に同じくゆうぽうとで開催された、貝谷八百子バレエ団創立60周年記念公演(演目は『シンデレラ』全幕)の公演プログラムです。作曲家の戸田邦雄は1951年に貝谷バレエ団が『シンデレラ』の日本初演をした時に、プログラムに解説を依頼された時のことを書いています。

 そのころ日本ではまだ誰も聴いていない、録音やレコードもない、関係文献も手に入らないといった新しい曲の解説を書くことは、評論家や解説業者ではなく、われわれ若い(当時は!)作曲家にその役割がまわって来たのである。[中略]
 しかし楽譜がなければ話にならない。幸い畏友の柴田南雄君が、青山四丁目あたりの小さな楽譜屋でピアノ譜を見かけたといってくれたので、早速場所を探して買いにいった。子供のころ通っていた小学校のあったところの右隣の地区だった。その結果がこのプログラムに採録された解説である。

 舞台美術家/テレビ美術監督橋本潔「光陰矢の如し」より

 1937年(S12)まだ17歳だった貝谷八百子さんが当時日本を代表する檜舞台「歌舞伎座」を借り切って、「交響曲第五番・新世界」「杏花村」「美しき森」を上演。当時このような公演についての毀誉褒貶は想像に余りある。貝谷八百子はクラシックバレエだけでなく新しいバレエ創造の道を選ぶ事も多かった。戦後のバレエ興隆の中では、新作バレエ公演は茨の道ともいえる。[中略]
 そしてまだ20代だった私に「ジャンヌダルク」「海賊」「白鳥の湖」「ポギーとべス」の舞台美術を描くチャンスを与えてくださったのも貝谷さんだった。貝谷さんの溢れるようなダイナミックな創作意欲と、反骨精神を私は忘れることなく胸に刻み付けている。

 指揮者・福田一「貝谷バレエ団と私」より

 60年前の歌舞伎座のデビュー公演は、当時のバレエ界の歴史的事件だったのであるが、幼児の私は、残念ながらその舞台に接していない。しかし私が観客としてはじめてバレエに接したのは、貝谷八百子さんが踊った“ゾベイタ”(シェヘラザーデ)であった(これは昭和21年のことで今から50年前)。昭和24年、有楽座で、「サロメ」(伊福部昭作曲)を初演された舞台もみている。

 巻末の「貝谷八百子演出、振付による本邦初演(全幕)の主な作品」には、伊福部昭作曲の『サロメ』(昭和23年帝国劇場)と『バスカーナ』(昭和24年帝国劇場)を筆頭に19作品が掲げられていました。下記レパートリーにも含まれています。

貝谷八百子記念 貝谷バレエ團 レパートリーhttp://www.kaitani-ballet.com/Kaitani_Ballet/repa.html

戸田邦雄と山田和男についてはこちら