ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

山田一雄『一音百態』「“鬱々”の少年時代」より

 山田一雄 1912(大正元)年10月19日生まれ。和男と命名される。

 わたしの少年時代は、英文学者で学習院の教授をしていた父と、優しい母の庇護のもとに、穏やかに流れていった。わたしの上には、兄が三人。男ばかり続いた四人目の子供だったので、わたしの時は「あっ、また男か」と、きっとがっかりされたに違いない。幸福なことに、このあと父と母は、二人の女の子をさずかったのである。
 両親と六人のきょうだい。それに祖父母と二人の女中さんが、当時のわが家の家族構成だった。食事時ともなると、この大家族が全員一緒に大きな食卓を囲む。食事の支度にしても、母と女中さんの忙しさは大変なもので、十二人分のおかずが大きなテーブルにダァーと並んだ光景は全く壮観だった。
(中略)
 子供の心は、いつの時代にも、よく出来たパズルのように、解けそうで解けないものらしい。父も母も、子供たちのしつけに関しては、一歩も譲らないほどに厳格だったが、わたしたちの性格に合わせて、伸び伸びと育ててくれた。わが家は、いつも自由で明るい雰囲気にあふれていたし、兄たちも、男兄弟の中で一番下のわたしを、何かにつけて気にかけてくれた。なのに、わたしの心は、いつも曇り空のように暗かった。いわれのない欲求不満がうず巻き、それを自分でコントロールできないままの“鬱々少年”であった。(『一音百態』p34-35より)