ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

西條八十『東京音頭』

 昨日は神宮球場でヤクルト最終戦を観ました。ヤクルトが点をとると『東京音頭』が流れてみんなで歌います。昨日は4回歌いましたが、この曲は中山晋平(なかやま・しんぺい、1887-1952)作曲、西條八十(さいじょう・やそ、1892-1970)作詩、1933年の発表。西條については先日入手した宮田毬栄『追憶の作家たち』に載っていたので、早速読んでみました。
 童謡『かなりや』でも知られる西條は、早稲田大学卒業後フランスへ留学、帰国して早稲田で教鞭をとる仏文学者でした。多くの抒情詩を生み出し、晩年に中央公論社から出した『アルチュール・ランボオ研究』の編集を、宮田さんが担当したのでした。西條は宮田さんの父・大木惇夫とは、青年期からの詩人仲間だったそうです。普段からしゃれたスーツを着こなしていたという西條の写真が本に載っています。宮田さんも早稲田の仏文科出身だそうですが、大学の講義よりもはるかに贅沢な、編集者として取材した西條との一対一の会話を回想してらっしゃいます。
 西條は1930年の夏に、大阪朝日新聞の依頼で紀行文を連載するために、主に西日本一帯の民謡行脚をしたそうです。その後に生まれたのが『東京音頭』でした。

 「東京音頭」は日本人の感性にぴったりと寄り添い、津々浦々に浸透していった。歌は歌自身の生命をたくわえ、動きだし、いまではもう、だれも西條八十の作品とは知らないだろう。作者死して歌のみ巷に流れる。西條八十ほどそれを望んだ詩人はいない気がする。そこに不可思議な文人西條八十の秘密があると思えてならない。(p41)

 なお西條も中山晋平日本音楽著作権協会JASRAC)の会長を務めています。