ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

大江健三郎

岩波書店のPR誌『図書』に大江さんが「親密な手紙」というコラムをこの1月から書いてらっしゃいます。3月号を先日教文館で入手し早速ページを開いたところ、「エリオット」の文字が飛び込んできました。

……私は二十歳で深瀬基寛氏の『エリオット』と『オーデン詩集』に夢中になった。それ以来、T.S.エリオットとの縁が細ぼそとながら続いて来たのは、『水死』にもあきらかだ。(p25)

ご本人の口からエリオットとの縁がうかがえて、やっぱりと納得してます。
当初このブログでは、「ヒロシマ」についてあれこれ書いていくことになるのかなと思っていました。昨年夏から大江さんの『ヒロシマ・ノート』を読んだり、「死の国の迎えの車」(第四場)のモデルといわれるABCC(Atomic Bomb Casualty Commission=原爆障害調査委員会)について調べてみたりしていました。しかし大江さんが広島を最初に訪れたのは、このオペラの台本を書いた後の1963年のことです。
そこで大江さんの初期の短編を読み、最新作の『水死』を読んでいるうちにコクトーの『オルフェ』と出会い、更にはずっと前に読んだT.S.エリオットと再会することになりました。確かにこのオペラのテーマの一つは「ヒロシマ」ですが、それとは別の側面が大きく広がっているのがわかってきました。
このオペラ台本と同時期の大江さんの作品である『夜よゆるやかに歩め』(1959)の初版本には、土門拳撮影の著者の写真が載っています。それは図書館の書庫の中のような場所で机に手をついて立ち、視線を下に向けている構図で、瑞々しさをたたえた一人の青年の姿であります。10歳年長の作曲家芥川也寸志が出会ったのは、この青年であったのかと思いをめぐらせているところです。