ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

クラシックの迷宮で山田一雄を聴く

片山杜秀さん解説のNHK-FM「クラシックの迷宮」、昨日は山田一雄(1912-1991)特集でした。この第九を指揮したのは30歳の時。そして第4楽章はなんと日本語による歌唱。日本語詞はバス歌手の矢田部勁吉とありました。歌い手だけに、単なる訳詞でなく、旋律に合わせて日本語が歌いやすいように作られているのが感じられました。この矢田部は国立音楽大学の創設者の一人だそうです。

クラシックの迷宮 ▽山田一雄の遺産を聴く~NHKアーカイブスから~

交響曲第9番 ニ短調 “合唱つき” 作品125」
矢田部勁吉(日本語詞):作詞;ベートーベン:作曲
(ソプラノ)三宅春恵、(アルト)四家文子、(テノール)木下保、(バス)矢田部勁吉、(合唱)日本放送合唱団、(管弦楽)日本交響楽団、(指揮)山田和男(一雄)
(1時間7分10秒)<~NHKアーカイブスから~ ※1943年1月5日放送>

ピーターと狼
プロコフィエフ:作曲
(朗読)小沢栄(のちの栄太郎)、(管弦楽)日本交響楽団、(指揮)山田和男(一雄)
(27分27秒)<~NHKアーカイブスから~ ※1949年4月6日放送>

参考
矢田部勁吉 - 国立音楽大学附属図書館
https://www.lib.kunitachi.ac.jp/pub/parlando/2012/Parlando274-5.pdf

松村禎三とキリスト教

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松村禎三作曲家の言葉』(春秋社 2012)

 作曲家松村禎三キリスト教との関わりについて、『松村禎三作曲家の言葉』(春秋社 2012)から追ってみました。オペラ『沈黙』(1993)と『ゲッセマネの夜に』(2002/2005)については前に書いたので、それ以外の曲や人物についての言葉です。松村には『祈祷歌』『巡礼』など宗教的色彩のタイトルを持つ作品がありますが、『貧しき信徒』以外はいずれもキリスト教関連ではありませんでした。人物について語る中でわずかにキリスト教が顔を出しますが、松村自身は生涯キリスト教とは距離をおいていたことが伺えます。

■第3章 作品を語る

『貧しき信徒』(1996)歌曲 詩:八木重吉(1898-1927)
 何年か前、オペラ《沈黙》を作曲している間に、たまたま夭折したキリスト教徒である八木重吉の詩と出会うことができた。この曲集の五番目の「石」という短い詩で、私はそれに強い印象を受け、そのうちに歌曲として作曲したいと思い始めた。……その結果、八木重吉の詩集から七つの詩を選び出し、ピアノだけの短い間奏曲を加えて、八つの曲よりなる歌曲集が出来上がった。……《風が鳴る》《石》《天というもの》《秋のひかり》は詩集『貧しき信徒』から、《きりすとをおもいたい》は本来は無題で、独立した詩として収められているものを選んだ。……
(「新しいうたを創る会」第3回演奏会プログラム 1996.9.11)より抜粋

■第4章 忘れ得ぬひとびと

遠山一行(1922-2014)
 ストラヴィンスキーを背負い込むとき、フォーヴィズムとも言うべき《春の祭典》から、新古典主義、十二音による宗教作品までを遍歴した一人の作家の体質と姿勢を見事に浮き出させていく。その中で彼の筆が滲むところがある。
 
 「音楽の上の音楽をきずいていた」彼が、「音楽の終ったところで」書いた宗教的作品は、その創作に新しい運命を準備することになった。しばらく忘れていた広大な神の土地の上で、みずからの音楽の畑をたがやすストラヴィンスキーには、長い不在をはじる息子の姿があるが、その音楽のつつましやかな表情に、私は、新古典主義の閉ざされた空間をはるかに超えた美の世界を見て感動したのである。
 
 美しい、光った文章であると思う。これはプロテスタントの謙虚な篤い信仰の中で生きている彼の心が思わずゆるした表現であるように思える。
(遠山一行さんのこと『遠山一行著作集』第6巻月報 1987.4)より抜粋

■第6章 作曲家のオアシス

熊井映画の奥行き 1『深い河』
 『深い河』は1993年に上梓された遠藤周作氏の同名の小説が映画化されたものである。何人かのそれぞれの人生の苦悩を背負った人達が一つの旅行団に参加してインドへ行き、ヒンドゥー教の聖地であるガンジス河に面したベナレスを訪う話である。……一つだけ音楽のない科白と音だけのシーンが入っている。早暁、大津がヒンドゥー語でキリスト教のミサをあげ、路にうずくまっている老婆をガンジス河へ背負って行くシーンである。……個人的な話になるが…1971年、やっとインドへ旅することを得、なかでもベナレスで大きい感銘を受けた。その後に作曲したものが、《ピアノ協奏曲第一番》で、私自身も未だに最も愛着をもっている作品である。
(「深い河」オリジナル・サウンドトラック 1995)より抜粋
 

■第7章 折々の風景

私の一冊 井上洋治『余白の旅』
 これはカトリックの司祭が自らの思索のあとを記したものである。素朴な、夕焼けや、大洋感情の体験から始まって、全く飾りを捨て、誠実に、思念や情操に関する体験が書きつづられている。……この本を読んで驚くことは、彼は決して信仰者として深淵の向こう側にいるのではなくて、私のすぐ傍らに、私と同じフィールドにいると感じられることである。……この本によって、私はキリスト者になるとは思わない。しかしこの書物に接した以上、自らの五体を吹きぬけ、私の生命を生かしてくれる風の音を、おそらく生涯聴きつづけるであろうと思う。
東京新聞 1985.11.22)より抜粋

 松村禎三のこれらの言葉を読んで気が付いたのは、キリスト教に関して遠藤周作との交流から得たものが多いと同様に、遠藤に対して松村がヒンドゥー教に関する情報を提供した結果、遠藤の名作『深い河』が生まれたのではないか、という妄想でした。

遠藤周作『名画・イエス巡礼』を読む https://nipponica-vla3.hatenablog.com/entry/2021/06/19/152853

遠藤周作『名画・イエス巡礼』を読む

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遠藤周作『名画・イエス巡礼』文藝春秋、1981

ニッポニカ第38回で演奏する松村禎三ゲッセマネの夜』。ゲッセマネはイエスがユダの裏切りにより捉えられた場所です。仏教やヒンドゥー教に親しんでいた松村が、キリスト教のこの題材で作曲するに至ったのはどういう道筋があったのか考えていました。松村は1993年にオペラ『沈黙』を作曲しているので、その中にヒントがあるのではと、松村の言葉を追ってみました。

オペラ《沈黙》1993年
 私は生涯に一つはオペラを書いてみたいと長い間思い続けてきた。知人にすすめられ遠藤周作氏の小説『沈黙』を1972、3年ころに読み、二つの思いに駆られた。一つはこれが圧倒的に魅力的な題材であること、もう一つはキリスト者でない自分がこの題材を興味本位で扱うべきでない、ということ。
 1979年にサントリー音楽賞をもらい、翌年オペラの委嘱を受け、『沈黙』のオペラ化を決めた。持ち越して来た二つの課題に同時に直面することになった。この題材は、ポルトガルの若い司祭がキリシタン禁制の日本に潜入し、捕らえられて棄教する話で……遠藤氏の小説の中に、より深い神への思いがあるなら、私はそれに謙虚に向かい合わなくてはならないと思った。
(『松村禎三 作曲家の言葉』春秋社、2012年より抜粋編集)

遠藤周作(1923-1996)が『沈黙』を出したのは1966年。その後1973年に『イエスの生涯』、1978年に『キリストの誕生』を出しています。そして1981年に出したのが、『名画・イエス巡礼』です。これは受胎告知から復活までのトピックごとの絵画を題材に、遠藤の言葉でイエスの生涯を綴った本です。出版後それほど時間を置かずに購入したものの、じっくり読む機会のないまま何十年も書架に眠っていたのを取り出し、改めてページを繰りました。遠藤は聖書にあるそれぞれの福音書を深く読み込み、イエスの生涯を丁寧に追いながらキリストの誕生へつながる物語を語っていました。遠藤の言葉が深く心に突き刺さるとともに、松村禎三がこれらの遠藤の著作を必ずや読んだに違いないと思ったことです。

遠藤周作『名画・イエス巡礼』
文藝春秋 1981

  • 受胎告知:フラ・アンジェリコ「受胎告知」 …7
  • クリスマスの夜:トマソ・ジョヴァンニ・グイディ・マサッチョ「東方三賢王の礼拝」 …15
  • ナザレのイエス:ジョルジュ・ド・ラトゥール「仕事場のイエスとヨセフ」 …23
  • ヨハネの洗礼:ピエロ・デラ・フランチェスカ「キリストの洗礼」 …31
  • 悪魔の誘惑:コンラート・ヴィッツ「聖ペトロ奇跡の漁獲」 …39
  • カナの結婚式:ゲラルド・ダヴィッド「カナの婚宴」 …47
  • ガリラヤの春オディロン・ルドン「キリストとサマリヤの女」 …55
  • 北方への流浪ジョヴァンニ・ベリーニ「イエスの変容」 …63
  • エルサレム入城:ジオット・ディ・ポンドーネ「エルサレム入城」 …71
  • 最後の晩餐:イル・ティントレット「最後の晩餐」 …79
  • ゲッセマネでの逮捕:ヴァン・ダイク「ユダの裏切り」 …87
  • ペトロの否認:ヘンドリク・テルブルッヘン「聖ペトロの否認」 …95
  • 処刑宣告まで:ヒーロニムス・ボッス「この人を見よ」 …103
  • ゴルゴダの丘:ディエゴ・デ・シルヴァ・イ・ベラスケス「十字架のキリスト」 …111
  • エスの復活ジョルジュ・ルオー「郊外のキリスト」 …119

初出:『文藝春秋』1979年1月号~1980年2月号に「名画・イエスの生涯」の題で連載。「イエスの復活」は書下ろし。

松村禎三の著作を読む【2】

「作曲に臨む態度」

俳句との出会い。高浜虚子の次男である作曲家池内友次郎先生に師事し、結核の療養所に入るときに「俳句でもやったらどうか」と勧められた。療養所では療養俳句というのが盛んで、同好の士と俳句誌に投稿するようになった。俳人の秋元不死男や寺山修司とも交流した。しかし療養中から始めた作曲で賞をとったこともあり、俳句と音楽は両立しないと考え俳句から遠ざかってしまった。その後だいぶ経ってから、以前詠んだもので句集を出すことになり、秋元先生は温かい序文を書いてくださった。

子どもの頃から音楽が好きで、西洋音楽のレコードを聞いたり卓上ピアノで作曲の真似事などをしていた。音楽コンクールで賞をとった後に伊福部昭先生にも師事し、ヨーロッパにない独自の音楽世界に触れた。

多くの文化はある時期に様式的に完成され、その後は衰退し演奏家だけが残っていく。ヨーロッパの音楽も20世紀に入り十二音音楽まで行きつき、自分が作曲に取り組み始めたころはそればかりだった。しかし自分はそれに与せず、アジアの音楽、特にインドの芸術に刺激を受け、どの音も平等な十二音でなく、中心音のある、ドローンの響く音楽を目指して書いたのが『ピアノ協奏曲第1番』。

水上勉の芝居の音楽を書く機会があり、水上に「在所のない人間は愛せない」と言われ、自分の在所とは何か考えた。それまで生まれ育った京都は陰湿で嫌いだったが、日本の文化に目覚めていき、尾形光琳日本画観世流の能の世界の深さに気づいた。そうした日本文化の世界をヨーロッパの楽器で表現したいと考えている。
(初出:第24回「花曜」総会(関西の俳句会)300号記念集会 記念講演「作曲について私が考えてきたこと」 1995)
出典:『松村禎三 作曲家の言葉』(春秋社 2012年)p16-29より抜粋編集

■参考
松村禎三の著作を読む【1】
https://nipponica-vla3.hatenablog.com/entry/2021/06/05/050152

松村禎三の著作を読む【1】

ニッポニカ第38回演奏会でとりあげる作曲家、松村禎三(1929-2007)の語る世界をたどってみます。

「わが作曲語法」

1929年京都の商家に生まれたこと。仏教徒の家。10歳で父が亡くなり、クラシックのレコードを聴き、レコードコンサートでベートーベンの第5交響曲に感動。16歳で戦争が終わり、高校ではピアノを弾き、20歳で卒業後、母を亡くし、上京。池内友次郎に師事、フランス仕込みの音楽様式を学ぶ。

東京藝大を受験するも結核がみつかり、5年半ほどサナトリウムで療養する。回復期に書いたオーケストラ曲が「毎日コンクール」で1位となる。

西洋音楽の成熟と衰退を感じ、「音楽というものは、生命の深いところに響いてくるものでなくてはならない。その美しさが、人々に、今日生きてそれを聴く喜びを持たせるものでなくてはならない」と考える。インドの芸術のエネルギーに刺激され、6年程かけて『シンフォニー(交響曲第1番)』を作曲。

西洋の調性でなく、アジアにおける一つの調性、「一つの中心音を持つ」という発想に魅力を感じる。1971年に憧れのインドを旅行。帰国後書いた『ピアノ協奏曲第1番』では、全曲に渡りピアノがC#を鳴らし続け、このドローンがあるからこそ自由に楽想をふくらませることができた。

日本の伝統文化の美意識に深く共鳴するようになり、日本画、能、古事記などを素材に作曲。さらにカンボジアアンコールワット遠藤周作の『沈黙』を題材に作曲。形而上的なものに向かい合う。
(初出:ニューヨーク・アジアソサエティ講演 1994年3月)
出典:『松村禎三 作曲家の言葉』(春秋社 2012年)p3-15より抜粋編集

■参考
松村禎三の著作を読む【2】
https://nipponica-vla3.hatenablog.com/entry/2021/06/08/055314

ニッポニカ第38回演奏会「松村禎三交響作品展」

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オーケストラ・ニッポニカ第38回演奏会

オーケストラ・ニッポニカ第38回演奏会

2021年7月18日(日)14:30開演 紀尾井ホール

指揮:野平一郎
ピアノ:渡邉康雄*
管弦楽:オーケストラ・ニッポニカ
チケット:全席指定 3,000円
 コンサート・イマジン 03-3235-3777 他
主催:芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
http://www.nipponica.jp/
助成:芸術文化振興基金助成事業/(公財)東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京/(公財)花王芸術・科学財団/(公財)野村財団
アーカイヴ協力:東京音楽大学付属図書館

第37回演奏会評

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『音楽の友』2021年5月号

ニッポニカ第37回演奏会「1964年前後・東京オリンピックの時代」の演奏会評が、次の通り掲載されました。有難いことです。

  • 東京の演奏会から:オーケストラ・ニッポニカ(第37回)/長谷川京介
    〔音楽の友 79巻5号〕2021年5月 p128

■参考
オーケストラ・ニッポニカ第37回演奏会「1964年前後・東京オリンピックの時代」
http://www.nipponica.jp/concert/concert_history.htm#053