ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

井口淳子『亡命者たちの上海楽壇』

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井上淳子『亡命者たちの上海楽壇』
 上海に設置された外国人居留地である上海租界には、1920年代ごろからロシア革命を逃れた白系ロシア人ユダヤ人が大勢住みつき、欧米の最先端の芸術文化が紹介されていた。その実態は長らく謎に包まれていたが、この本の著者は当時租界で発行されていた各国語の新聞データを丹念に調査し、そこから上海租界での音楽関連文化の実態を浮かび上がらせている。第1章では舞台芸術の中心であった「ライシャム劇場」を取り上げ、第2章ではロシア人やユダヤ人ら亡命音楽家たちが担った「上海楽壇」を描く。第3章ではディアギレフの系譜を引き継ぐ「上海バレエ・リュス」の実像を詳述し、第4章では興行主「A.ストローク」の活動を、第5章ではストロークと共に活動した日本人「原善一郎」について述べている。各章の間に関連事項をコラムとしてまとめ、多くの舞台写真やプログラム、新聞掲載広告記事などを紹介している。

亡命者たちの上海楽壇:租界の音楽とバレエ / 井口淳子
音楽之友社、2019.3
236, xip ; 19cm (オルフェ・ライブラリー)
目次:
はじめに …5
第1章 ライシャム劇場:西洋と東洋の万華鏡
一 上海最古の西洋式劇場 …14
二 工部局オーケストラ …28
三 租界終焉に向かって沸き立つ劇場 …34
四 ライシャム劇場 …40

【コラム】
1 租界もしくは東洋雑居について …48
2 映画 …49
3 レコード …51
4 ラジオ放送 …53

第2章 上海楽壇:モダニズムからコンテンポラリーへ
一 上海楽壇とは …58
二 1939年の上海楽壇:亡命音楽家流入による新時代 …61
三 音楽評論を読み解く …67
四 同時代音楽への取り組み …70
五 ベルリンから持ちこまれた無調音楽 …74
六 十二音技法とナイトクラブ …81

【コラム】
5 上海工部局オーケストラ …92
6 国立音楽院(国立音楽専科学校) …94
7 シャルル・グルボワ(1893-1972) …96
8 アーロン・アフシャーロモフ(1894-1965) …97
9 ウォルフガング・フレンケル(1897-1983) …98

第3章 上海バレエ・リュス:極東でディアギレフを追い求めたカンパニー
一 上海バレエ・リュス …102
二 1934年11月、上海バレエ・リュス結成される …109
三 1935年2月、上海バレエ・リュスの旗揚げ公演 …116
四 上海で何が上演されたのか …123
五 フランス語新聞のバレエ評論 …130
六 1940年代の快進撃 …134
七 東洋のバレエ・リュスを再評価する …144
上海バレエ・リュスの舞台写真集 …150

【コラム】
10 上海バレエ・リュス …160
11 上海バレエ・リュス主要人物 …161
12 ロシア・オペラ、オペレッタ(ロシア歌劇団、軽歌劇団) …164

第4章 巡業するヴィルトゥオーゾたち:興行主A.ストロークのアジア・ツアー
一 極東のインプレサリオ誕生 …170
二 ストロークとは何者だったのか? …172
三 ストロークがプロデュースしたアジア・ツアー(1918~1941年) …176
四 ツアーの中心は上海から東京、大阪へ …192
五 戦後のストローク …193

第5章 外地と音楽マネジメント:原善一郎と上海人脈
一 音楽マネージャー、原善一郎 …200
二 原と上海交響楽団 …202
三 戦時上海の山田耕筰演奏会 …206
四 朝比奈隆との接点 …213
五 原とストロークの共同マネジメント …218
六 外地からもたらされたマネジメント戦略 …223

【コラム】
13 朝比奈隆の上海体験 …232

あとがき …234
参考文献 …vii
索引 …iii

藤野幸雄『春の祭典:ロシア・バレー団の人々』

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藤野幸雄『春の祭典:ロシア・バレー団の人々』
 1909年興行主ジァーギレフ(ディアギレフ)によって始められ、1929年の彼の死によって解散したロシア・バレー団(バレエ・リュス)の足跡を、関わった複数の人々の伝記によって浮かび上がらせた書籍。前史として1905年の「血の日曜日」の惨事から書き起こし、ジァーギレフ、ベヌア(ブノワ)、バクストら雑誌『芸術世界』(1898-1904) の同人として集った人々の交流、そこから生まれ出た美術展、コンサートの流れを示す。そしてバレエ団結成の経緯を語るにあたり関わった人々の伝記とロシア・バレー団の初期の年月を交互に置き、重層的に歴史を描き出している。なお各人の伝記は没年まで含むが、年代順の記述は1917年のロシア革命の時期まで。
 著者は東京外国語大学ロシア語科出身の図書館学者で、人名のロシア語読みはフランス語表記に慣れた目には最初はなじみにくかったが、ロシア語を含む各国語の参考文献をたんねんに読み込んで語られる内容は、ロシア・バレー団の実態を見事に浮かび上がらせている。
 
春の祭典:ロシア・バレー団の人々 / 藤野幸雄
晶文社、1982
281, xxp ; 20cm
目次:概要

  1. プロローグ 1905年:ペテルブルグでの「ロシア歴史肖像画展」
  2. ジァーギレフ:興業主。『芸術世界』同人。
  3. 1906-7年:ロシア美術展、ロシア歴代コンサートをパリで開催
  4. ベヌア:美術家、美術史家。『芸術世界』同人。バレエ団で舞台美術を担当。『ペトルーシュカ
  5. 1908年:ロシア・オペラ、バレー公演をパリで開催
  6. バクスト:画家、舞台美術家。『芸術世界』同人。バレエ団で舞台美術を担当。
  7. 1909年:セゾン・リュス開始、『クレオパトラ』他上演
  8. パヴロワバレリーナ。1909年『アルミ―ドの館』『レ・シルフィード』『クレオパトラ』に出演。
  9. 1910年:『火の鳥』『シェエラザード』他
  10. フォーキン:バレー・ダンサー、振付師。『ペトルーシュカ
  11. 1911年:ロシア・バレー団結成、『ペトルーシュカ』初演他
  12. カルサーヴィナバレリーナ。『ペトルーシュカ』で踊り子。
  13. 1912年:『牧神の午後』他
  14. ニジンスキー:バレー・ダンサー、振付師。『ペトルーシュカ』でペトルーシュカ
  15. 1913年:『春の祭典』他、南米公演
  16. ルビンシテ―イン舞踊家、女優。『クレオパトラ』『シェエラザード
  17. 1914年:『金鶏』、第一次大戦開戦、バレエ団離散
  18. ストラヴィンスキー:作曲家、指揮者。『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典
  19. エピローグ 1914-1917年:スイスで再結成、アメリカ公演、『パラード』、ロシア革命

あとがき
参考文献
索引(バレー作品)(人名)

NHK-FM「芥川也寸志が指揮した日本の管弦楽曲集」

 先日NHK-FMで、芥川也寸志が新交響楽団ほかを指揮した「日本の管弦楽集」が放送されました。内容は次の通りです。

NHK-FM 名演奏ライブラリー 
▽没後30年 芥川也寸志が指揮した日本の管弦楽曲
2019年12月22日(日) 午前9:00~午前10:55(115分)
解説:満津岡信育
楽曲:

  • 小倉朗「オーケストラのためのブルレスク」
    (指揮)芥川也寸志、(管弦楽)新交響楽団(3分03秒)
    <フォンテック FOCD3273>

https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-12-22&ch=07&eid=71895&f=1635

「オリンピックと音楽」

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日本近代音楽館レクチャーコンサート「オリンピックと音楽」
 日本近代音楽館のレクチャーコンサートシリーズ、第8回は「オリンピックと音楽」でした。戦前のオリンピックではスポーツだけでなく「芸術競技」があり、日本からも参加していたこと、1964年東京大会での「電子音楽」使用の時代背景、そして山田耕筰から古関裕而にいたる音楽の流れについて、講師の渡辺裕さんから興味深いお話をうかがうことができました。関連する映像や音源が流されるだけでなく、実際の演奏も行われて理解が進みました。実証的な研究に裏付けられた内容に深く感銘を受けました。

日本近代音楽館レクチャーコンサートシリーズVIII
オリンピックと音楽

日時:2019年12月14日(土)14:00開演
会場:明治学院大学白金キャンパス アートホール
主催:遠山一行記念日本近代音楽館
お話:渡辺 裕
演奏:アンサンブルTCM
曲目:

  • 江文也「台湾の舞曲」 (1934/36) (ピアノ版)
      安並貴史(Pf)
  • 諸井三郎「オリンピックからの三つの断片」 (1936)
      陳金(Vn)、竹内彬(Cl)、保﨑佑(Fg)、安並貴史(Pf)
  • 山田耕筰「走れ大地を オリンピック派遣選手応援歌」(1932)
      栗原光太郎(Ten)、安並貴史(Pf)
  • 古関裕而「オリンピック マーチ」(1964) (安並貴史編曲によるピアノ連弾版)
      森杉美希・安並貴史(Pf)

プログラム:

  1. 1936年ベルリン大会:オリンピックにおける「芸術競技」と日本人作曲家たち
  2. 1964年東京大会:天皇陛下の入退場に使われた黛敏郎の「電子音楽
  3. 1936年から1964年へ:山田耕筰古関裕而にみる「国民音楽」の盛衰

オリンピックと音楽 - 日本近代音楽館レクチャーコンサートシリーズVIII | 遠山一行記念 日本近代音楽館

「四人組とその仲間たち」コンサート2019

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四人組とその仲間たち2019
 全音楽譜出版社主催のコンサートに行きました。チラシと反対の曲順で、まずは天上の声に魅せられた薮田作品。一転して地上の喧騒の中で描かれる世界各地の音の風景を味わった、2本のサキソフォンによる金子作品。硬質なフルートから流れ出るゼリー状の蜜の西村作品。3本の譜面台を立てて舞台空間を縦横に濃密な響きで満たしたヴァイオリンの新実作品。そしてハーモニカの可能性を極限まで追求した池辺作品。今生まれたばかりの音楽を心行くまで楽しみました。全音がこのコンサートシリーズを26年も継続していることは誠に快挙だと思います。サキソフォンの大石さんとフルートの若林さんが、紙の楽譜でなくタブレットを操作して演奏されていたのも新鮮でした。ロビーにはチラシ絵の原画が展示されていました。

四人組とその仲間たち
室内楽コンサート 現代日本の作曲家
全音現代音楽シリーズ その26
《しなやかな戯れ》

日時:2019年12月13日(金)19:00開演
場所:東京文化会館小ホール
プログラム(全曲世界初演

  • 薮田翔一:祈りの華
    演奏:小川栞奈(sop)、黒岩航紀(pf)
  • 金子仁美:ビタミンC 3Dモデルによる音楽V 2人のサクソフォン奏者のための
    演奏:須川展也(sax)、大石将紀(sax)
  • 西村朗:氷蜜(ひみつ) フルート・ソロのための
    演奏:若林かをり(fl)
  • 新実徳英:ソニトゥス・ヴィターリスVI ヴァイオリン独奏のための
    演奏:渡辺玲子(vn)
  • 池辺晋一郎:ハーモニカは笑い、そして沸騰する
    演奏:和谷泰扶(harm)


主催/制作:株式会社 全音楽譜出版社
演奏会案内サイト

■過去のコンサート記録:

小牧正英『ペトルウシュカの独白』

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小牧正英『ペトルウシュカの独白』
 バレエ・ダンサー小牧正英の最初の自伝。岩手県の岩谷堂での幼少期、1933年21歳で画家を志しパリに向けてシベリア鉄道に乗ったが失敗し、ハルピンでバレエ学校に通ったこと、1940年上海のバレエ・ルッスに入ったいきさつ、上海での経験、帰国した日本での経験、関わったバレエの演目、芸術家たちとの交流などが、順不同でちりばめられている。

ペトルウシュカの独白 / 小牧正英
三恵書房、1975
238p ; 19㎝
目次:
素晴らしきかな人間 …7
老音楽家との出会い …17
ペトルウシュカ」初演のことなど …26
「胡桃割り人形」と私の恐怖心 …31
バレエ対談 …35
帝劇と裸おどり …41
すすり泣く観客 …45
一つの鑑賞方法 …50
アメリカで眼をさましアントニー・チューダー大いに笑う …53
バレエと劇場 …60
舞踊の紀元 …68
舞踊の美学 …71
創作バレエ「受難」 …75
オペラ「イゴール公」のバレエ …82
コッペリア」のみどころ …86
「金鶏」のこと …92
一九四二年の頃と「ジゼル」とフォキン …98
「アルミ―ドの館」と「シェヘラザーデ」 …103
白鳥の湖」本邦初演 …111
白鳥の湖」の物語 …115
旅行のつもりで帰ってきたが …124
摩天楼上陸第一夜 …130
結婚と離婚について …144
義務とサービス …148
根性とは …151
マリーナと十字架 …154
別離 …160
鋤のたわごと …164
本物とにせ物 …171
風貌と肉体 …173
幼き心 …175
有島生馬先生の言葉 …182
お小遣い …185
ひまなとき …188
ある日記 …190
お盆の声を聞くと(一) …192
お盆の声を聞くと(ニ) …195
総理大臣閣下に一言申し上げる …199
磨かざる宝石 …202
ある講演より …206
あとがき …237

小牧正英『バレエと私の戦後史』

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小牧正英『バレエと私の戦後史』
 バレエ『ペトルーシュカ』を1950年に日本初演したバレエ・ダンサー、小牧正英の自伝『バレエと私の戦後史』の目次をあげておきます。この本には、小牧が上海で敗戦を迎え、帰国後日本でバレエ公演を重ねた足跡が語られています。

バレエと私の戦後史 / 小牧正英
毎日新聞社、1977
253p ; 20cm
目次:
はじめに …巻頭
序章 上海から日本へ …11
 西洋と東洋の文化のかけ橋 …13
 オードリ・キングと私 …14
 ポツダム宣言のころのフランス租界 …16
 ヘレン・バアシアのこと …19
 ライセアム劇場と「バレエ・ルッス」 …20
 上海実験演劇学校 …22
 「リットル・コーヒー・ショップ」 …23
 命拾い …24
 バレエ公演と惜別 …26
 「バレエ・ルッス」のこと …29
 引揚げリバティ船で博多港へ …31
第一章 混乱とバレエの芽生え …35
 引揚列車と河上徹太郎史 …37
 F家とタンドンさん …39
 日劇ダンシング・チーム …42
 東京バレエ団の結成 …43
 藤田嗣治画伯のデザイン …46
 本邦初演「白鳥の湖」 …48
 バレエとかつら …51
 魚河岸の若者たち …53
 東宝音楽協会と東宝争議 …56
 「シェヘラザーデ」初演と「パガニーニ幻想」 …57
 永田雅一氏と上森子鉄氏の登場 …60
 東京バレエ団の崩壊と「コッペリア」初演 …63
 帝劇で「コッペリア」バレエ座談会 …66
第二章 新樹の如きバレエ …73
 谷桃子との離婚問題 …75
 大阪朝日会館 …79
 「バラの精」と谷桃子 …81
 朝比奈隆氏との出合い …83
 「イゴール公」初演のこと …86
 アメリ進駐軍第八軍エデュケイション・センター …89
 「白鳥の湖」の大阪再演 …91
 有楽座の東京バレエ団公演 …92
 チャイコフスキイと時代思想 …96
 「牧神の午後」 …97
 東宝音楽協会の解散と東宝交響楽団 …100
 グラン・バレエ「アメリカ」 …102
 小磯良平画伯と「新世界」初演 …105
 吉原治良画伯と美術構想 …106
 創作バレエ按舞者として …108
 「受難」と文部大臣賞 …109
 たそがれコンサート・野外バレエ …110
 「ペトルウシュカ」日本初演 …115
 「ペトルウシュカ」余談 …118
 「ペトルウシュカ」と指揮者 …120
 私と「ペトルウシュカ」 …122
 「ペトルウシュカ」鑑賞の手引き …124
 「ペトルウシュカを語る」座談会 …128
 ギリシャ悲劇と「ペトルウシュカ」考察 …132
第三章 たゆまざる努力 …137
 オペラ「ファウスト」と日本上演史 …139
 藤原義江氏との対談 …143
 オペラ「アイーダ」 …146
 「国際演劇月」公演と各国からのメッセージ …148
 宝塚歌劇団とバレエ・チーム …152
 「真夏の夜の夢」 …157
 演出についての考察 …160
 オペレッタ「蝙蝠」雑感 …163
 ソーニア・アロワと「眠りの森の美女」本邦初演 …169
 ソーニア・アロワのメッセージ …172
 アロワのお別れ公演 …176
 ポール・シラードの来日とノラ・ケイ …179
 「ジゼル」全曲本邦初演とノラ・ケイ …181
 小林冨佐雄社長のこと …193
 ノラよ、何処に …195
 ノラとアントニー・チューダー来日 …198
 ノラ・ケイと「白鳥の湖」 …204
 三島由紀夫の「立見席」 …205
 チューダーとノラのメッセージ …206
 日本劇場のノラ・ケイ公演と観客動員 …208
 ひらかれた新生面、ノラとチューダー …209
 「日本バレエに寄す」ノラ・ケイ …210
 私と「火の鳥」出演 …214
 さようなら! ノラ・ケイ送別バレエ …216
 「カルメンの恋」 …216
 創作バレエ「交響曲第四番」と「日輪」 …218
終章 汗と足の三〇年 …223
 アロワとサンダース、ハネムーン公演 …223
 古川緑波さんとアロワ …226
 マゴ―・フォンテイン招聘計画 …230
むすび …249

参考